スピリチュアルブームが起こる背景

今、日本でスピリチュアルブームが起こっていることの背景には、いくつかの“不安”がその原因として存在しています。

列挙してみるとこんな風になります。

一つ目に“身体的不安”。

身体が虚弱になり、何事にもポジティブに向っていこうという生命力本来の健全なパワーが欠けているということ。

二つ目は、現代人が誰でも抱えている人間が本来抱えているともいえるもっとも当然ともいえる“心の不安”。

そこには、自分とは何者なのだろうかというアイデンティティーの不安から始まり、人間関係の不安、自分を他人にどう見られているか、家族の中で、あるいは社会の中でどう思われているか等々、と限りなく“心の不安”が創り出されています。

その根本原理をごく簡単に説明をすれば、人間は等身大のフィジカルなホモサピエンスという生物的な存在をはみ出して、ヴァーチャルな自己としても存在するので、そこに様々なフィジカルとメタフィジカルなギャップが生じるということです。

三つ目は、“人間としての不安”。

もちろんこれも普通でいえば二つ目の“心の不安”に含まれますが、ここでは分類上少し分けて考えてみます。

大上段から振りかぶれば人間はどんな存在かということです。

これはまさしく哲学的ともいえる問いで、考えれば考えるほどむずかしくなってくるので、どうしても“不安”の影がさしてきます。

近代の代表的な哲学であるショーペンハウェル、キルケゴール、ニーチェなどの実存哲学を考えてみれば、そこにニヒリスティックな不安が影を落とすのが納得できるでしょう。

四つ目は“社会的不安”です。

これには大きく分けて、“政治的な不安”と社会のストレスや抑圧、人間関係による“社会的不安”です。

五つ目は“時代的不安”。

現代でい最後の六つ目は“現世的不安”あるいは“宗教的不安”です。

“現世的不安”あるいは“宗教的不安”とは、人間が唯一死ぬことを知っている生物だからこそ抱える“不安”だといってもいいでしょう。

いい換えれば、“生と死の不安”なのです。

この“現世的不安”つまり“宗教的不安”は、人間が生まれながらにして“宗教的なもの”を持っているというところからきます。

ところが、西洋史でいうと長い間権力を誇っていた一神教宗教であるキリスト教の神学が18世紀になり急に没落したことをきっかけに、非宗教的(非形而上学的)、合理的、機械論的な科学の知が(ヨーロッパ)世界をリードするようになり、その後20世紀の終わりまで物理学帝国主義の時代が300年近く続いたのです。

ヨーロッパの中心的な宗教は、宗教の中でもとりわけ排他的で一元的なユダヤ・キリスト教だったので、宗派間の中でも、また後続のイスラム教との間でも激しい宗教戦争が長く続きました。

そんなこともあって、宗教的な知性(神学・形而上学)がヨーロッパの表舞台から姿を消すと多くの知識人たちは長い間表立って宗教について論じたり、議論を戦わせることをしなくなったのです。

特に20世紀の二つの大戦の後、ヨーロッパのある程度の知性をもった人たちの多くは、(宗教的ともいえる)ファナティックなファシズムへの恐れと、ダーウィニズムの影響もあり、宗教からひとまず切り離した個人の思想を持つことで人間としての知性と人格を保つことにほぼ成功しました。

しかしアメリカでは事情は一変していました。

20世紀後半のヴェトナム戦争あたりからスピリチュアルを含めて宗教的なものに走る人が多くみられ、1970年代の不況から回復しても、また、いくつかのオカルト教団が事件を起しても宗教に思い入れる人は増え続けてきました。

当代を代表するアメリカの哲学者ダニエル・デネットは、2006年に『Breaking the Spell(呪縛を解く)』(邦訳はなし)という大きな本を出版しました。

副題の「Religion as a Natural Phenomenon」(自然現象としての宗教)にもあるように、無神論者デネットは、この本の中で現在の、そして今後のアメリカ社会における宗教について真摯に、また危機感をもって向き合っています。

例えば、認知科学の観点から進化論について大きな本(『ダーウィンの危険な思想』)を書いているデネットが憂えるそのひとつは、アメリカ国民のうち、進化論を認めている人はなんと4分の1にすぎないということばにも表われています。

ようするに多くのアメリカ人は、現在でも人間は神が創造した(インテリジェンス・デザイン説)と思っているということです。

ヨーロッパや日本では考えられないことですが、このことは現在のアメリカ社会の宗教に対して狂信的になっていることを象徴しているといえましょう。

現在の日本のスピリチュアルブームの主流は、オーム真理教以来、急進的なものには少し距離を取って女性を中心に気楽な占いやパワースポット巡りに浸っていますが、その裏側にこうしたアメリカの宗教的狂信性や盲目性がひそんでいるということは正しく認識しておく必要があるでしょう。

日本がずっと追いかけてきた先進国アメリカが21世紀の今、宗教的狂信状態にあるということが信じられないという人のために、宗教大国アメリカの実態に切り込んだドキュメントDVD『ジーザス・キャンプ~アメリカを動かすキリスト教原理主義~』を紹介しておきましょう。

その冒頭、子供を集めたサマーキャンプで保守派プロテスタントの一派ペンテコステ派の女性牧師はこう熱狂的に語ります。

「キリスト教徒は堕落してしまった。食に貪欲になり、二、三日断食しようともしない!」

そのことばを子供たちはどこまでも真剣な表情で聞いていますが、画面を見ている私たちはその丸々と太った女性牧師が吐くことば(ヴァーチャル)とその身体という現実の裏腹さにことばを失ってしまいます。

やはり一神的宗教(原理主義的宗教)はほとんどファシズムと同じで危険きわまりないということです。えば合理主義、機械文明が進み、物質的豊かさの中で、さらにハイテク化、ヴァーチャル化した情報社会になっています。

そんな自然の稀薄になった世界の中で、生身の身体で生きている人間は様々な不安に襲われることでしょう。

当然、この“時代的不安”は同時に“身体的不安”であり、“心の不安”であり、“人間としての不安”であり、“社会的不安”でもあります。