スポーツ科学・メンタルトレーニングの盲点

スポーツ科学、あるいはメンタルトレーニングの領域で最近「ゾーン」ということばを耳にします。

ようするに心身の緊張、興奮、集中が高すぎず低すぎず、最善の状態をゾーンというのです。

「ピークパフォーマンス分析」というのも同じこと、ようするにその人の身体能力がもっとも発揮される時の心の状態、心理を分析しようというものです。

しかし、ちょっと考えると、そんなに簡単に心の状態をチェックして、身体のベストコンディションを作るということが実現できるものなのかという疑問が湧いてくるでしょう。

身体のことをそんなに簡単に頭で考えて変えることなどできないのです。

運動学やスポーツ科学は、いうまでもなく、身体能力をいかに引き出すかという学問(?)研究ですが、身体の使い方や能力開発法が行き詰った時点で、おかしなことに、メンタルトレーニングが興り、現在ではかなり盛んになっているといえましょう。

心と身体は確かにつながっています。つまり、心身二元論は誤りなので、身体の開発に行き詰ったから、心からアプローチしようというのは、ある意味で正しそうなのですが、本当は身体の問題を深い所まで突き詰めないで、ごまかしている、心の問題にすり替えてしまっているところがあります。

では、運動学、スポーツ科学の乗り越えなければならなかった身体の問題は何でしょうか。

それは筋肉強化という身体の外側を強化するという安易な方向にひたすら突っ走ってきた反省をきちんとして、身体の外側から身体の内部の強化へ、つまり、筋肉から骨格強化、あるいは呼吸力増強という方向へ転換しなければならなかったのです。

しかし、この転換がそう簡単にはいかない事情がいくつかありました。

最大の事情は、運動学の中心にある運動生理学が、もともと筋肉の研究をする筋生理学だということ。

二つ目の理由は、戦後の日本人の西洋コンプレックスにより、筋骨隆々とした西洋人の身体に多くの人々があこがれていたということです。実際はボディビルで創られた身体は見かけだおしだというのに。

三つ目は、二つ目の西洋コンプレックスともつながりますが、テクノロジーや機械に象徴される合理的な西洋文明崇拝により、バーベルやマシーンを使った機械的なトレーニングを進歩した新しいトレーニング方法と信じたところがありました。

さらにもうひとつ付け加えておきたいこととして、これは合理主義信仰とは矛盾するようですが、タテ社会で知られる体育系上層部の人たち、のコーチ達の前近代的精神主義と、筋トレのただひたすらキツさに耐えるという練習方法が非常にマッチしていたということもありました。

ともかく以上のような理由で現状のスポーツ界ではまだ筋肉神話が生き続けています。

生物学的(生化学的)に筋肉は細胞レヴェルでもエネルギー代謝が他の身体の部分より悪いということが明らかになっているにもかかわらず、筋肉に頼り、身体を固め、呼吸のしにくい機械のような身体を作ろうとしているのです。

しかし、機械のような身体は思いの他ケガをしやすく弱い身体なのです。

筋トレの延長線上には、サプリメントや薬物の使用の世界が必然的に待ち受けています。

自然界にマッチョな動物は存在しません。

どこで自然な本来の人間の身体の追求という路線に身体観、身体論のパラダイムチェンジをするかが、今、問われているのです。