所長挨拶

4、5才の頃、幼稚園の庭で紙飛行機を飛ばしていていると、突然右の腕が肘から肩にかけて鉛のように重たく垂れ下がり思うように動かなくなってしまいました。

何のことはない右腕の肘関節がはずれてしまったのです。

関節がひとつはずれただけで身体の自由が全くきかなくなるということを私は初めて体験しました。

その時の私は、わけの分らないまま“ほねつぎ”という看板のかかっている柔道の道場に連れて行かれたのです。

診察室に入ると柔道着に赤と白の格子じまの帯をしめた老人が出てきて、ちょいと私の右腕を持ち上げたかと思うと私の腕は元通りになっていました。

その老人はその道場で大(おお)先生と呼ばれていて、何でも三船久蔵と講道館で同期の大変偉い柔道家だと後で聞かされました。

そんな縁で私は小学校に入学した時からしばらくその道場に通い、柔道を習うことになったのです。

柔道を始めたことは私にとって最初の自分の身体性の目覚めでした。

もっとも、その頃の身体体験で現在に至るまで私の中に生き続けていることは、柔道の技ではなく、稽古の始めと終わりにほんの2、3分行われた正坐での黙想(瞑想)です。

大先生のことではもうひとつ思い出があります。

小学校1年のある日、道場で乱取り稽古をしていて、相手の頭が私の顔面にぶつかり鼻血がしたたり落ちました。

その時、たまたま大先生が私たちの稽古を見ていたのです。

大先生は私の所に近づいてきたかと思うと右手の指で私の鼻を軽くおさえました。

ものの2、3秒だったと思いますが、かなり激しくしたたり落ちていた鼻血が、ピタッっと止まってしまったのです。

今思えば大先生は氣の使い手でもあったのです。

こんな骨(関節)と氣の不思議な体験をする中で、私は早くから身体に関して知的な問題意識をもつようになっていました。

その後中学に入り、哲学に関心を持ち始め、10代終りから20代にかけての乱読時代にベルグソンの『創造的進化』に遭遇し、エラン・ヴィタール(生命の衝動)という西洋の氣の概念に驚かされました。さらにメルロ=ポンティの『知覚の現象学』と市川浩の『精神としての身体』、道元の『正法眼蔵』を読んだことで身体哲学の世界に決定的に引き込まれることになります。

身体の哲学は二十世紀の後半になってますますその領域を拡大していきました。

ジャック・モノーの『偶然と必然』やコンラート・ローレンツの『攻撃』は生物学や動物学、進化学、生命科学が哲学のメインテーマになったことを少々衝撃的な形で教えてくれたといえましょう。

この延長には、ギブソンのアフォーダンスやG・レイコフやM・ジョンソンのembodiment(身体化)の認知科学やアルヴァ・ノイエのエナクティブ・アプローチ(熟達した身体運動としての知覚)など21世紀の身体哲学の未来に向けて続いていきます。

行法に関する方法論ということでいえば道元に先行する空海と世阿弥にも決定的なことを学びました。また、玉城康四郎の『新しい仏教の探求―ダンマに生きる』や井筒俊彦の『意識と本質』にも大いに触発されました。

“ほねつぎ”に始まった骨と氣との縁はその後、貝原益軒、杉田玄白、ヴェサリウスの解剖学からゲーテ、クラーゲスの形態学を経て、三木形態学に至り、さらに最新の進化生物学へとつながっていきます。

また、同時に身体への関心は自然に武術や芸道、仏教行法の修行へと導くことにもなりました。

行法はつきつめると呼吸法に行きつきます。

呼吸法に関しては30年間かけて、ヨーガの呼吸法から、禅の呼吸法、道教の呼吸法、神道の呼吸法、武道武術の呼吸法、芸道の呼吸法、民間健康法としらみつぶしに実践し、検証してきました。特にブッダの呼吸法については多くの仏典や苦行時代のシャカ像を深く探求し、検証し、俗に「シャカの呼吸法」といわれているものの誤りを指摘すると共に、正しい「ブッダの呼吸法」(悟りを導いたシャカの呼吸法)を解明しました。

すなわち、気がつくと、私が確立した呼吸法は、過去に存在した本格的な呼吸法の集大成ともいうべき解剖学的な明確さをもつと共に、行法的な妙法としての特徴も兼ね備えたものになっていました。

そうしたある意味で私の骨と氣(呼吸)を二大要素とする身体との出会いが幼い日の“ほねつぎ”との縁で始まっていたと思うと妙に感慨深いものがあります。

 

プロフィール

 

勇﨑賀雄(ゆうざきよしお)・身体哲学者

1949年東京生れ。早稲田大学文学部卒業。

古今東西の行法(身体技法)、身体論、特に呼吸法を徹底研究し、現代の呼吸法の盲点、俗説を完全解明する(『「阿修羅」の呼吸と身体』(現代書林))と共に、現代人向けに進化した現代の行法<呼吸身法>を創る。

さらに骨に着目し、形態学、進化生物学、比較動物学などを参考に、独自の<骨文法>を確立する。また、身体を軽視した脳化社会に警鐘を鳴らす『脳ひとり歩き時代』(河出書房新社)を上梓。

身体哲学研究所所長、身体哲学道場・湧氣塾塾長
(http://you-ki-juku.co.jp/)

朝日カルチャーセンター講師

三鷹福祉専門学校講師