超越身体と骨文法

身体哲学的に高僧の身体、あるいは超越者の身体を端的に指摘すれば、“背骨の垂直性が顕著”で“首(頚椎1・2番と6・7番)がゆるんでいて”、“アゴが鋭く”(下顎・オトガイ・下顎角が鋭い)、“眉間が開き、額(前頭骨)が少し盛り上がっていて”、“頭(頭蓋骨)が浮いている(6つある泉門・大泉門・小泉門・前側頭泉門・後側頭泉門が開いている)”ということです。

武道・武術の達人の身体を同様に指摘すれば、手首(手根骨・月状骨・有鉤骨・有頭骨・舟状骨)と足首(足根骨・踵骨・舟状骨・立方骨)がゆるんでいる、腰(仙腸関節)と肩(胸鎖関節・肩鎖関節・肩甲骨)がゆるんでいるとなります。

もっともこうした高僧や超越者あるいは武道・武術の達人の身体的特徴は外見からいわゆる“客観的”にかなり正確に判断できるのですが、ここに、少々やっかいな「見る人が見れば」ということばを付け加えなくてはならないでしょう。

この“客観的”というのは原理的には誰でもということなのですが、ある種の経験知の積み重ねという暗黙の前提があるのです。

簡単な例を出せば、新鮮な魚や野菜は色艶からひと目で分るというのは確かに客観的な事実ですが、これを誰でもが当たり前に分るかというと少しむずかしいでしょう。

どこかで経験知を育てていないと分らない。その判断基準は決してアプステリオリ(先験的・先天的)ではなく、アポリオリ(経験的・後天的)だということです。

字が上手いか下手か、書体を見極める目や、ピアノやギターなどの楽器演奏の上手・下手や、バレエの上手・下手はかなり客観的違いでしょうが、誰にでも分るとは限りません。

しかし、これが能の上手・下手や陶器や磁器の出来の上手・下手さらには前衛絵画の上手・下手になるとどうでしょう。

段々上手・下手の違いが専門家以外には分りづらくなっていくのです。

繰り返しますが、ここには経験の積み重ね、つまり、経験知というものが判断の土台になっているのです。

同様のことが先の高僧や超越者の身体の特長にも武道・武術の達人の身体にもいえるのです。

 

身体哲学研究所では、高僧や武道・武術の達人、能や狂言など芸道の名人など超越性を体現している身体を検証するために、さらには実際にすべての人間の中にある超越的身体性をめざめさせ、引き出し、完成させる実践的方法論の要として、「骨文法」(Osteology Grammar)というメソッドが確立されてあります。

それでは、なぜ“骨”で、なぜ“文法”なのかということを説明しましょう。

骨をまず素材として、取り上げてみます。

骨は単に身体を支えている建築資材の鉄骨のような硬い物質ではなく、血液を創り、ホルモンの調整をしながら、常に身体という内部環境の重力状態に合わせて、日々生成を繰り返す有機的生命体なのです。

例えば骨は、体重が増えれば、太く強くなり、運動不足になれば虚弱になり、食べ物が偏れば必要な強度を保つのに必要な栄養分がアンバランスになり、また、年を取れば、代謝率が落ち、もろくなります。

次に骨を素材以上大切な“構造”として取り上げてみましょう。

人間は哺乳動物としては例外的な二足歩行(bipedalism)という特異な行動形態を取ります。

身体哲学研究所では、この人間の身体の特長を“垂直性”と呼びます。

つまり、通常の動物の数倍の頭の重さを持つ人間が、この“垂直性”を維持して躍動的に動き回り十分に能力を発揮して生活していくためには、背骨を中心とした緻密な骨の構造の支えがあって始めて成立しているのです。

簡単にいえば、人間のLife、つまり、生命・生活・人生は、頭の良し悪し以前に正しい姿勢という身体性によって成り立っているということです。

特に重い労働から解放され、便利な車社会の中に生き、歩くことの決定的に不足した現代人は、偏った歩き方や坐り方をして身体のバランスを著しく崩しています。

姿勢が崩れると健全な精氣が身体にも頭にも廻らなくなるのです。

脊髄動物は、頭の方向に進むという基本的な行動のパターンを取ります。これを生物学では“頭進”といいます。

つまり、背骨を通り、尻尾から頭へ流れるエネルギーが基本的な動物の生命エネルギーの流れる方向なのです。

そして、人間以外の動物では、頭の方向が前方になるのですが、直立した人間だけが、生命エネルギーが前方ではなく、上方(人間の頭の方向)に向うのです。

すなわち、人間の場合のみ、生命力、元氣は先方ではなく上方に向うという一見奇妙なことが起り、その分だけ人間は“垂直性”、つまり、正しい姿勢が大切になるというわけです。

この“垂直性”を支える人間の正しい姿勢は、背骨を中心とした骨のストラクチャーと、そのまた骨のストラクチャーを支える呼吸によって成立しています。

呼吸については、あらためて説明しますが、ここでは骨の構造の大切さについてひとまず強調しておきます。

つまり、現代人のように運動不足および姿勢の悪さで骨の構造が崩れてしまった人は、骨の正しいストラクチャーを取り戻す骨の構造の調整法(矯正法)を行い、次に、その正しい骨の構造を維持するメンテナンス法を身に付ける必要があるのです。

最後になりましたが、「骨文法」と“骨”の次になぜ“文法”がくるのかということに簡単に触れておきましょう。

“文法”とは、いうまでもなく“ことば”における基本的な規範、つまり、基本構造のことをいいます。

したがって、「ことばの文法」のアナロジーとして、「骨文法」とは、“骨”の“基本的規範”、つまり“基本構造”のことを差します。

では、“ことば(言語)”と“身体”の共通性について説明します。

“ことば”特に“書きことば”(エリクチュール)には厳格ともいえるような基本的な規範(構造)が必ず存在し、同時に“ことば”、特に“話しことば”(パロール)にはほとんどなんでもありのような自由な表現が存在します。

“文法”は時に、“あってもなし”のような様相を呈することさえあるのです。

同じように、身体には基本的に“骨の構造”があり、“骨の構造”を超えた動きはあり得ませんが、見方によっては、天才、達人、名人の動きはほとんど何の制限を感じさせない自在さがあります。

この“規範”と“自由さ”の両義性を“ことば”も“身体”も持っているというわけです。

外国語学習において“文法”がこの上なく有効であるように、一般の人(凡人)が身体を再建し、天才の身体、超越性の身体獲得するために「骨の文法」は限りなく役立つということです。