身体哲学研究所の特徴図

1.身体哲学研究所のシステム図
2.身体哲学行法の三つの特徴
3.身体領域の布置図

 

1. 身体哲学研究所のシステム図

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身体哲学研究所は、言語的、非言語的(身体的)観点を問わず、常に超越的な視点から人間、および現実世界を眺められるように設定されています。そして、そこでのメインテーマは、人間が本来、可能態として、あるいは潜在性として持っている超越性を体現した身体(身心)の解明とその個人レヴェルのみならず、社会レヴェル、世界レヴェルでの実現のための方法論(一即多の行法)の完成です。そして、そこでのヴィジョンを実現するために、現実世界に三つの身体哲学実践の拠点(場)を仮設してあります。

まず、中心的な拠点として身体哲学道場・湧氣塾は、個人(個体)レヴェルの身体の自己実現的改善、および超越的再構築を行い、ある段階から平行して、一対一、一対多のボディコミュニケーションカリキュラムによって、さらに有機的共存の“場”を生かして、誰でもが楽しく短期間で超越的身体(身心)再構築を実現させます。

二つ目の拠点からだのラボ・ボディアウェアネスは、積極的に自立(自律)した自己の身体(身心)あるいは超越的身体(身心)をめざすことに自信がもてない人のための、誰でもが身体(身心)を変えることができる“実験室”(ラボ)です。身体哲学道場・湧氣塾のカリキュラムをとことん簡明に分解して、どんな人でもできる“始めの一歩”から懇切丁寧に指導する身体(身心)初等教育機関です。

 

2. 身体哲学行法の三つの特徴

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近代スポーツの世界では、身体を身体哲学研究所のいう“外部身体”、一般的にいえば科学的認識論をベースにすえた“対象的客観身体”ととらえ、機械論的、明示的に理解し、意識的、操作的に動かすという方法で技術の上達を目指していきます。

一方、東洋の伝統的な武術・芸道・行法の身体観では、身体哲学研究所のいう“内部身体”、一般的にいえば、主体と客体(対象)を区別する科学的認識論では説明できない直覚的主観身体ととらえ、身体を自覚的、暗示的に理解し、無意識的、感覚的に動かす方法で身体技術を高めて生きます。

ここで問題となるのは、二つの方法が完全に分離してしまっていることです。

※“外部身体”とは自己意識の“外部”にあるものとして対象化した身体で、直接目で見えない骨(のストラクチャー)も含みます。また、“内部身体”とは、自己意識と一体不可分で、自己(身体)の“内部”にあるように感じられる身体です。

身体哲学研究所の開発した実践的身体哲学(超越的身体開発法)の方法論は、まず、この二つの方法の融合あるいは統合です。つまり、西洋的スポーツの明示的・意識的方法(Explicite・Conscious Method)と東洋の伝統的武術・芸道・行法の暗示的・無意識的方法(Implicite・Unconscious Method)を呼吸法をベースに相補的に組み合わせてあります。(呼吸身法)

二つ目の超越的身体開発法の特徴は、骨文法(骨格の構造)という身体の動かしがたい規範に基づいて、人間の身体を理解、把握していることです。そのことによって、神秘的ともいえる人間の身体の持つ内発的な可能性を限りなく引き出すことができるようになります。身体は根底的にいえば筋肉ではなく骨の構造によってあらゆる動きを導き出しているのです。パソコンに例えれば、硬い骨はまさにハードウェア(cpu)であり、骨の上に乗った柔らかい筋肉はソフトウェア(アプリケーション・ソフト)に当ります。ソフトウェアはハードウェアがなくては稼動しようがないのです。人間の身体も、骨の構造を超えて動きを創りだすことは不可能だということです。(骨文法)

超越的身体開発法の三つ目の特徴は、身体の開発法でありながら、一般にいうフィジカルな調整だけではなく、坐禅Meditationという“内部身体”の開発法が取り入れられていることです。しかし、この“内部身体”の開発法はイメージなどを用いる普通でいうメンタルな調整法ではありません。“内部身体”を確実に養成する身体技法を少し時間をかけて(いうまでもありませんが、“内部身体”の開発は、その方法を頭で理解しただけでは決して身に付きません)習得することで、誰でもが身体を高いレヴェルまで総合的に開発することが可能になっています。(坐禅Meditation)

3. 身体領域の布置図

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身体について総合的にあるいは本質的に語ることはやさしくありません。

それは身体が、さまざまに見え隠れして、単に医学、スポーツ、舞踊、芸道、行法、武道、さらには演奏、演劇、登山、旅行、園芸、料理、遊戯といった身体に直接かかわる領域に限らず、文化や芸術、テクノロジーなど、人間の知性や精神が存在するあらゆる場、つまりおよそ人間の存在するいたるところに大木の根のように根を下ろしているからです。それは、日常的な次元にも非日常的な次元にも、また現実としてのリアリティーの場にもヴァーチャル・リアリティーの場にも根を下ろしています。

しかもそれが、現代人の関心の中心である個人(個体としての身体)という領域だけに限らず、いや個人という領域を越えた社会的、政治的、そして時代的な広がりのなかで生じ(誕生し)て深く根を下ろし、最終的には超越的な時空に向けて飛翔(回帰・消滅)しようというものだからです。

ここでいう〈身体〉とはほとんどそのまま、〈精神〉と置き換えて使うことの可能なほど深いレヴェルで両義的に、あるいは双極的に〈精神〉と結びついています。(『「阿修羅」の呼吸と身体~身体論の彼方へ~』より)