身体論を超えて

近代以降の西欧の身体論の中で、身体哲学研究所のめざす虚弱化した現代人の身体の復興および垂直性という人間本来の身体性に則った超越的身体の実現に役立つ普遍的な原理をもつものは、大きくいってベルクソンの身体論と、それを栄養分として発展させたメルロ=ポンティの身体論と、ギブソンの開発したアフォーダンスという身体論の3つです。

この他にもニーチェやシェリング、ヴァレリー、ハイデガー、ドゥルーズ、ウィリアム・ジェームズにデューイ、ホワイトヘッドといったすぐれた哲学者の身体に関する洞察も大いに参考になります。

ゲーテとヘッケルが興し、三木成夫が継承した形態学やゲシュタルト心理学、現象学の理論の中にも身体哲学研究所が参考にする身体論的なヒントが存在します。

近いところでは、マトゥラーナとヴァレラの提唱するオートポイエーシスや『肉中の哲学』(Philosophy in the Flesh)を著したジョージ・レイコフとマーク・ジョンソンの第二世代認知科学、あるいは認知意味論派と呼ばれている人たちの身体論、ギブソンのアフォーダンスをベースにして近年気鋭アルヴァ・ノエによって展開されているエナクティヴ・アプローチという身体論、そして、認知科学系身体論としては、スチュアート・カウフマンの生命の自己組織化の研究によって提出されるいわゆる複雑系の科学としての身体論も参考になります。

認知科学系の哲学者の中ではダニエル・デネットのように意識(心)の研究をしている人の身体論、またスティーブン・ミズンのような歌(音楽)と言語の関係を探求する中で現われてくる身体論も、さらには、鬼才ジュリアン・ジェーンズの『神々の沈黙』から浮かび上がってくる身体論もありましょう。

もうひとつ忘れてはならないのは、リチャード・ドーキンス対スティーブン・J・グールドという形に象徴される進化生物学の論客たちの身体論、および、それを取り囲むエリオット・ソーバー達の生物学の哲学(Philosophy of Biology)の身体論です。

もちろん、日本人による身体論で無視できないものもいくつかあります。

主要なものをいくつかあげてみれば、市川浩の身の身体論、坂部恵の触れることの身体論、大森壮蔵の知覚論をベースにした身体論、演劇をベースにした竹内敏晴の身体論、イスラム教、仏教の研究者で“言語アラヤ識”という概念で展開する井筒俊彦の身体論、『正法眼蔵』(道元)の研究からシャカのダンマに至りついた玉置康四郎の身体論、最近登場した異色の身体論としては精神科医計見一雄の精神の哲学ではなく“肉体の哲学”としての身体論に、人類学者菅原和孝の自ら“唯身論”と名付けた身体論となり、他にも多少問題があるものですが、唯物論者廣松渉の身体論や左翼批判家菅孝行の身体論に異端の密教学者津田真一の身体論もあります。

またその多くが、理論的な不備や技法としても開発途上の感はいなめませんが、民間療法や内外の施術家のメソッドから導かれる様々な身体論があります。

国内では野口体操を創った野口三千三の身体論や野口整体の創始者野口晴哉の身体論、肥田式強健術の肥田春充の身体論、岡田式静坐法の岡田虎二郎の身体論、調和道を興した藤田霊斎の身体論、霊氣の臼井甕男の身体論があり、海外の主なものには、アレキサンダー・メソッドの身体論、フェルデンクライスの身体論、ロルフィングの身体論、マハリシ・マヘシ・ヨギのT.M(超越瞑想)の身体論などがあります。

身体哲学研究所では、これらすべてを細かく検証した上で、最終的にいわゆる身体論を超えた“身体論の彼方”をめざしています。

(“身体論の彼方へ”の内容を知りたい人は、『「阿修羅」の呼吸と身体~身体論の彼方へ~』勇﨑賀雄を参照して下さい。)