身体論研究会

身体論研究会の定期開催

身体哲学研究所では、2013年4月から、ひとまず1年間の予定で身体論研究会を毎月1回(原則第3土曜夕方)に開きます。

参加者は、基本的には身体哲学研究所の研究員、および身体哲学道場・湧氣塾の塾生有志ということにしていますが、希望者がいれば一般の人も参加可能という形で行っていきたいと思います。

 

身体論研究会の大きな目的

身体論研究会の大きな目的は、医療、リハビリ、スポーツトレーニング、体育、認知科学、脳科学、哲学など様々な領域で身体への関心が高まっている2013年という現時点で、“身体論の現在”を『リハビリテーション身体論』(宮本省三・・2010年刊)をひとまずのたたき台のテキストとして選び、歴史的、世界的視野から幅広く眺め、総合的に検討、整理をして、最終的に身体哲学研究所の身体論を明確に打ち出そうということです。

 

<付随したねらいその①>

付随したいくつかのねらいのひとつは、身体論という一般の日本人にはなじみの薄い概念を掲げた会に、身体に関心のある人が一人でも多く参加してもらうことで、普段ほとんど意識化、対象化したことのない身体性を捉え直し、かつ、その無意識および非言語的領域に置かれている身体、あるいは自分と身体の関係をできる限り実感に則して言語化してみよう、捉え直してみようという試みです。

抽象レヴェルの言語化と具体レヴェルの実感をフィードバックさせながら身体(の動きや、骨の振動とつらなり、内部感覚など)を捉え直してみようということです。

もちろんここでは、身体哲学道場・湧氣塾で日々稽古をしている人達の経験の共有(身体感の共有)がある程度前提になっています。しかし、一般の人でも生きている以上、身体を動かさない人はいないので、その限りで十分身体経験の共有が可能であり、その意味で身体論研究会に参加可能で、それなりの意義を見い出していただけることと思っています。

ここで、身体論研究会で身体について言語化する時の基本スタンスについて触れておきます。

身体論研究会は、参加型の研究会、ゼミ形式で自分の意見を自由に語ってもらうという形で行いますが、身体および身体観について形式的、抽象的な議論、ロジックよりも、むしろその場で感じた自身の感覚的、直観的なことを非論理的な展開になることを恐れずに、ともかく表出、表現してみることを重視した語り合いにしたいということです。

 

<付随したねらいその②>

付随したねらいのふたつ目は、身体について本格的で普遍的な問題意識を持ちたいと思う人は、医学をはじめとして、哲学、心理学、認知科学をベースとして成立した西欧の身体論について基本的な知識をつけておくことが、今後身体について最新医学を含め幅広く知るためにも、あるいは東洋的な古来からの身体観を見直すためにも必要だと思われます。

そこで、身体論ということばに象徴される身体についての基礎教養を身につける場として、この身体論研究会を生かしていただければと考えています。

具体的にいえば、最終的に21世紀をリードする身体哲学につながる人間の心と頭と身体の総合知を探求していくためにも一般の人には少々とっつきにくいフッサール、ハイデッガー、メルロ・ポンティという20世紀の西洋を代表する哲学者の要点を理解しておくことは非常に有効なので、身体哲学研究所の解説に基づいて自分の頭と身体で理解して欲しいということです。

 

<付随したねらいその③>

付随したねらいの3つ目は、いわゆる生産的な議論の苦手な日本人が、中期、長期的でフレキシブルで多元的なビジョンに基づいた言語および論理のトレーニングの場、学習の場、勉強会として、この研究会を機能させたいということです。

 

<身体論研究会のもうひとつの大きなねらい>

最後に、人間の本質、人間文化の本質として、古くからいわれている“遊び”と“学び”、たまたまギリシャ語のパイデイアということばは“遊び”と“学ぶ”という両方の意味があるのですが、この“遊び”と“学び”に加えて、“学び”と“教え”について、もう少し詳しくいえば、学び-教え、教え-学ぶということの原点と理想について、最上の身体論を模索しながら、今一度吟味を加えてみたいということです。

この“遊び”→“学び”→“教える”→“遊び”→“学び”→“教える”という循環とそうした有機的なボディコミュニケーションの“場”の創造が、21世紀の身体哲学の有り様を描き出すことになるだろうと思うからです。

「遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけむ、
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動かされ。」(梁塵秘抄)

 

身体哲学研究所所長 勇﨑賀雄