Vision and Mission
今なぜ身体か
ここ数百年の先進国の歴史を振り返ってみると20世紀の半ばまではまさにデカルト的二元論の支配した時代でした。
二元論とはいうまでもなく精神と物質という異質のものの織りなす世界です。
しかし、デカルトの意図とは裏腹にこの二元論の世界において身体は排除または宙吊りにされてしまいました。
身体はデカルトの考えたような機械論的な物質界には属していないからです。
数理哲学者ホワイトヘッドが1920年代から科学的世界観(機械論的自然観)を批判していたように人間の身体も動物の身体(animal body)もニュートン的な物理学の世界では理解不能なのです。
正確にいえば20世紀に入り、人文学の領域でようやく心や精神と同じように身体についても、単なる物質としてではなく考察しなければならないという傾向が表われてきました。
いい換えれば、精神や心の世界と身体は相補的な関係にあるとようやく気づき始めたのです。
このことは、20世紀の入り口で近代的な精神(自我)を極限まで追いつめたポール・ヴァレリーが、同時に身体についても深い洞察をしていたことからも明らかです。
また、D・H・ロレンスも『精神分析と無意識』や『無意識の幻想』において身体と心の世界の即相的な関係について直観的に洞察しています。
思えば、長きに渡ってキリスト教の強い影響下に置かれていた西欧社会では、身体は精神や魂に比べてはなはだ低い位置に落としめられていたのです。
この近・現代史における身体の復興は、1953年のワトソン、クリックによるDNAの二重ラセン構造という生物の根本原理の解明で決定的になったといえます。
このことはマルクスの唯物論とは位相を異にしたレヴェルで、人間はそもそも他の動物と同じフィジカル(身体的)な存在だということを明らかにしています。
1970年代の分子生物学者ジャック・モノーの『偶然と必然』や動物学者コンラート・ローレンツの『攻撃』はこうした流れをより明瞭にしました。
しかし、様々な制度的な仕組みの中で生きている人間の常識(頭)は、常に先端を切り開く知から大分遅れて軌道修正されます。
したがって、高度な情報化社会の中で脳に振り回されている現代が、実は身体の危機に陥った時代だと正しく認識している人は非常に少ないといえましょう。
脳トレブームと日本人の身体の危機
日本には長い歴史の中で、坐禅(仏教行法)や武道をはじめ、能やお茶、舞踊に謡(うたい)といった多種多様な芸能や職人文化によって培われた高い身体性(身体知)がありました。
そのすぐれた特性をもつ日本人のデリケートな身体が、今、決定的な危機に瀕し、確実に亡びつつあります。
例えば、秋葉原事件などに象徴される現代の異様な事件の続発は端的にそうした日本人の身体の衰弱を表わしているといえましょう。
この日本人の身体の虚弱化の背後には脳化社会があります。
もちろん情報量が増し、知識が広がることは人間の知性にとって大切なことでしょう。
また脳科学の発達もそれ自体は大変望ましいことです。
しかし、日本人のすぐれた身体性を忘却し、なおかつ、脳の身体全体おける位置づけを逸した唯脳論(脳還元主義)的な脳科学者たちが商業レヴェルの脳ブームに安易に便乗する最近の事態は、この身体の衰亡を一気に速める憂慮すべきことだと私たちは考えております。
そもそも機械論的な脳還元主義者たちが前提にしている“心脳同一説”は哲学の世界でも脳神経生理学や心理学の世界でもひと昔前の不備の多い仮説として現在完全に否定されています。
少し考えてみれば当り前のことですが、老人や子供たちに筋トレと同じ発想で脳トレをさせても総合的に老人が健康になることも、子供たちが賢くなること、すなわち、思考力そのものが増すこともありません。
筋トレ神話はスポーツの世界でも徐々に崩れつつあります。
(脳と筋力は共に外胚葉由来の体壁系に属し、類似的性格があります。)
これは脳だけを特別のものと考えずに身体と脳を常に相補的なものととらえる私たち身体哲学者にとって自明なことです。
現代社会に生きる虚弱な身体の老人や子供たちに一番必要なことは、身体の一パーツにすぎない脳や筋肉の特定の部分を無理に鍛えることではなく、身体を総合的、有機的に正しく使わせることなのです。
しかし、この身体を機械のようにではなくいかに総合的に正しく使えるように教えるかという実践的な問題に対する答えを、現代の身体の専門家といわれる人たちは完全に見失っています。
いい換えれば大人たちが子供たちに正しい身体の使い方を教えられなくなっているのです。
また、苛酷なストレス社会に生きるビジネスマンの心身を、回復させる方法なども、実質的に身体文化を喪失しかかっている現代の日本人には見つけだすすべがほとんどなくなっているのです。
身体哲学、すなわち、現状を変革する力としての身体の知性を探求する身体哲学研究所は、こうした問題に対してどこまでも本格的で
実践的な方法を提供していきます。