“身体哲学研究所”とは!
身体哲学研究所は「何を」「どんな風に」研究すると所なのかを簡単に説明しておきましょう。 現代はなにかにつけて科学的に解明しようとします。しかし、科学には様々な限界があるのです。 そこで同じように真理を探求する科学と哲学はどう違うのか確認してみましょう。 心理学や社会学といった学問と同様に科学も17世紀以降、近代になってから哲学から生じた学問領域です。 哲学と科学の違いのまずひとつ目は哲学の方が知の開発、および、学問の発祥という意味で歴史が古いということ、つまり、近代以降に知(学問)の領域が細分化する以前の宗教や博物学も含む広い領域を対象とする知的営為だということです。 近代科学は物理学を出発点にして、数学をベースに客観性を重視して理知的、論理的にものごとを解析します。しかし、物や機械でない有機的なからだ(人間のからだは厳密に言えば心を含みます)の認識、理解には機械論的な、あるいは、要素還元的な、科学の分析・理解では抜け落ちてしまうところが少なくないのです。言い換えると客観性を重視する科学は主観を排除しますが、古来より理性と対照的にとらえられる感覚、あるいは情緒は人間の理解にとって、無視することができないものです。そして感覚や情緒は個々人の主観に深く結びついていることは忘れてはならないでしょう。 科学(自然科学)は客観を重視するために感覚、情緒と結びついた主観を暗黙に切り捨ててしまうのです。近代の入口で学問は自然科学、社会科学、人文科学と大きく3つに分かれましたが、いずれも科学という名前が付いていて紛らわしいのですが、この科学は一般にいう英語でサイエンス(Science)つまり自然科学という意味ではなく、もともと、ラテン語のションス(Science)、「知」という意味なのです。 したがって話を戻すと、科学つまり、自然科学だけでは世界を十全に解明することはできないのに、現代、とくに21世紀 に入り、AIを中心とした高度なテクノロジーが発達した結果、「科学による解明がすなわち知的解明」だと錯覚されているのが現状なのです。 科学と哲学のふたつ目の違い、もっとハッキリいえば、医学やスポーツ・サイエンスといった、身体を科学的に解明しようという研究機関と、私たちのように身体を哲学的解明しようという身体哲学研究所の違いを簡潔に説明したいと思います。 からだの科学的解明とはからだの構造と機能を物理的、生化学的に客観解明すること、少し難しくいうと認識論的にヴァーチャルな抽象言語世界で理解・解明することです。一方、私どもの身体哲学研究所ではまず、前提として、宇宙のように本来解明不可能なものととらえ、しかし、実際にはそのからだを等身大のリアルなからだととらえます。そしてそのからだをどう改善強化するかという実践的な問題意識が中心になってからだに向います。例えば、アスリートやダンサーなど身体能力を高めたい人のためには、単に天才的な人のからだの解明にとどまらずに、どのようにその当人の能力を伸ばすかという実践エクササイズを組み立てます。同じく、高齢者や病理、障害による機能低下に対しても個々の具体的なからだをどのように機能回復させるかという実践エクササイズがすべてとなります。 哲学的にいい換えると、抽象レヴェルの認識論ではなく、具体レヴェルの実践論だといえましょう。 解剖学と生理学の組み合わせでいえば、なぜ(Why)ディスオーダー(disorder・機能不全)や トラブル(trouble・障害)が起こるかということの認識知より、いかに(How)不備を直し、機能向上をめざすか、それには何(What’s the point)をなすべきかという、徹底的な実践知「今、何をすべきか」という現実的観点を第一優先にしているということです。 もちろん「骨と呼吸の勇﨑メソッド」という以上普遍的方法論の大切さは百も承知の上で、あくま で修業重視の現場主義ということです。 身体哲学の哲学とは決して、観念や抽象概念をもてあそぶということではありません。あくまで実践知を活かすこと、実践哲学ということです。