骨坐禅とは、その名前からも明らかなように、骨・関節の調整をベースにした坐禅である。
しかしいうまでもなく坐禅は最終的に心身の究極の統一、仏教的にいえば“悟り”を導く修業である。 身体哲学的にいえば、様々な意味で限定された自分(個人)のからだを無限に広がる宇宙と同調させる“超越的身体”の体現ということになる。ここまでは、まだ伝統的な、仏教的な、あるいは神秘哲学的な説明である。
身体哲学研究所の坐禅、骨坐禅の捉え方は、ここから一歩西洋の近代解剖学、あるいは生理学さらには生命科学の概念を導入して説明する。
その出発点は身体哲学研究所の所長である、勇﨑賀雄のある発見に則っている。それは骨が中国で古くからいわれてきた、「氣」のメインルートであるという解明である。
「氣」はインドでいう「プラーナ」(呼吸エネルギー)とも古代ギリシャでいわれている「プネウマ」(氣息)、プシケー(霊魂のエネルギー)とも重なる生命エネルギーのことである。この生命エネルギー、つまり、氣のパワーを「骨と呼吸の勇﨑メソッド」によって、つまり骨・関節の調整と独自の呼吸法によって、まず、からだの基本構造である骨格を強化し、かつからだ全体のクオリティーを高め、身体と高いレヴェルの心、すなわち魂を同化させ、超越的身体を実現させようというわけである。
伝統的な坐禅でも、「坐る」前に多少準備体操のようなものが ある。
例えば曹洞宗では「坐る」前にからだを左右に振り、正中線を整える程度のことはする。しかし、当身体哲学研究所や湧氣塾で行うような全身の主要な骨、関節をゆるめ整えるような準備体操はない。
身体哲学研究所の骨・坐禅は以下のように骨・関節をゆるめ、
からだ全体を解放させる方法的な動きが、準備体操にも、骨坐禅そのものにも組み込まれている。